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酔狼通信 219

11.11
 1日、夜、電話。「門岡です。今、小豆島にいる。明日、フェリーで日生に渡り、赤穂まで行けると思う。夜は暇?」「暇ですよ。」「じゃ、播州赤穂駅に6時で」
 と、電話を切ってから「あ、泊めてくれ」とは言ってなかったけど、どこへ泊まるんやろ?と、思ったが、ま、泊めてくれと言われれば、うちに泊まってもらえばいいか。

 門岡さんはHUCCの一年先輩。WEB上では            というオバケサイトを運営している自転車ツーリングの伝道師。今回はどこを、どう走っているんやろ?

 2日。夜。播州赤穂駅。上下サイクルウェアの門岡さんと再会。「昨日タケル(HUCC、酔狼と同期)に電話して千ちゃん(酔狼)の電話番号を尋ねたら、即答したよ!空で!!
 ご本人のHPにも紹介されているので記すが、門岡さんは現在、東北電力女川原子力発電所に勤務されている。
 勤務中に3月11日の大震災に遭われ、津波の被害を受けた。幸い、身体に被害は無く、交通手段や通信が途絶え、二三日発電所に閉じこめられたような形になった。住まいは大きく津波の被害を受けた女川市街にある。奥さんは当日、仙台に出かけておられたそうで、地震直後に「大丈夫?」「大丈夫」というメールのやりとりがあったそうだが、その後に巨大津波。奥さんが、まだ仙台にいるのか、すでに女川に帰っていたのか判らず、通信は途絶え、随分心配されたようだが、奥さんもまだ仙台市内にいて、幸い無事だったそうで。津波発生後、二三日して門岡さんが女川の自宅に帰ったときには「あら、おかえり」と迎えてくれたそうだ。

 女川勤務の際の住まいは港からは少し離れていて、敷地は二段になっていて、その上段。下の段の家は一階部分が津波に襲われた。上の段にあった自宅は床上浸水、地下部分にある車庫内にも浸水、四台の自転車も海水に浸かった。ただし、扉(シャッター?)のおかげで、浸水高さは自転車のフロントギア程度、扉のおかげで泥の進入もかなり防げたそうです。「でも、二ヶ月ほど手をつける気がしなかった」そうです。こちらも幸い、ワイヤーやチェンの交換程度で済みそうとのこと。
 女川にいる奥さんのご両親も無事とのことだったが、亡くなられた親戚の方もいるそうで、おそらく知人の方も被害に遭われたものと思われる。飲みながら、そんな話を伺ったが、聞きたくはあるが、ただの興味本位で尋ねるのは憚れる。
 「私は幸い、住む所もあるし、仕事もあるし、ただ電気や水道、電話がある期間途絶えただけ。」と話されるが、酔狼は言葉も無い。


 酔狼も地震発生後、しばらくしてWEB上で門岡さんの無事を確認、その後、電話でも少し話し、ひとまず安心はしていたが、直接元気な姿を見て嬉しかった。
 前置きが長くなってしまったが、
 駅近くの居酒屋へ移動。まずは無事を祝い、乾杯。携帯を持たぬ酔狼、門岡さんにスマートフォン(スマフォか?)を借用し、ACCの仲間に電話し呼び出す。番号を押して耳に、呼び出し音がしない。「あっ、『発信』ね」パネルをタッチ。「はっしん~」直後に同じ事を繰り返し、「学習しなよ~」
 
 ということでACCの軸さん、鉄工所も交え飲む。二人で飲むより、ずっと楽しいハズやし、ACCの仲間がいれば、ずっ~と素の酔狼が出るハズ。
 ついつい話は大震災の話になる。そんな大変な時に、ツーリングに出るなんて、すごいなぁ。「でも、女川に籠もっていても気が滅入るだけだから。」と門岡さん。

 今回のツーリングは先週の金曜日に東京でセミナーがあり、土曜は尾道へ。日曜日から走り始め、海岸線を鞆の浦、宇野から小豆島に渡り、島を丁寧に一周。フェリーで日生に上がり、播州赤穂へ。駅前の東横インに宿をとったそうや。
 明日の予定は、と尋ねると「東へ走っても面白くないから、中国山地のどこかを目指そうかな」ということで明日は一緒に走ることにした。

 帰宅後、りょうまさんに電話。明日暇なら走りましょう。


 3日。8時、播州赤穂駅。門岡さんの自転車はロードレーサーに無理矢理!マッドガードを付け(ご本人は必然と考えているハズ)、ガードとタイヤのクリアランスは数ミリ、フロントギアはMTB用の極小タイプのトリプル(インナーは22T)、リアは10段。荷物はサドル後方に小さなバッグ。中身は雨具と工具のみ。ウェアは毎日洗濯する着た切り雀。誰が見ても「えっ、これで何日も走るの?」
 門岡さん、ACCのりょうまさん、鉄工所、軸さん、酔狼の五人で曇り空の下走り出す。千種川沿いに北上、旧赤穂鉄道廃線跡。上郡町、佐用町上月。ここで昼から用事のある鉄工所がUターン。
 上月町から小さな峠を越えて岡山県美作市、宮本武蔵。西粟倉で昼食。順番待ちの間に門岡さんは缶ビール買って、飲み干す。「時間かかりそうだったからさ。」昼食、生ビール。
 りょうまさんは71歳とは思えぬ健脚。門岡さんも「私も70歳を越えて走ってらっしゃる方は何人か知ってますけど、こんなに速く走る方は初めてです。」

 午後は、ほんの少し上って県境の志戸坂トンネル。トンネルを抜けて鳥取県智頭町までは長い快適な下り。
 智頭の町はずれで鳥取方面に向かう門岡さんと別れる。鳥取あたりでスマホで宿を探して泊まるとか。会えて嬉しかった。また元気でどこかで会いましょう。じゃ、気をつけて。

 ACCの三人は智頭急行で輪行。上郡から相生経由で播州赤穂。18時前に着いたが、もう真っ暗。じゃ、また。
​   追記

 東日本大震災、大津波を乗り越えた門岡さんだが、2014年、若くして亡くなられた。一緒に走ったのはこのときが最後になってしまった。
​ お化けサイト            はその後、参加(きっと参画)しておられた「宮城野サイクリングクラブ」のサイト内で継続して見ることができるようになった。更新は望めないが、サイクリストの参考になる内容満載なので、是非、参考にしていただきたい。
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