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酔狼通信 H82
23.07
 23年7月の利尻礼文のOBランの際、松下老師がOBランの思い出を熱く語った。
 そこで暇に任せ、古いメモ書きや酔狼通信を掘り起こしてみることにした。
 インデントの文章は当時のメモ書き。この文と同じものは、思い出しつつの追記。記憶違いや、思い込みが多分に含まれると思わる。
82年6月5日(土)晴のち曇

高石―河内長野―かつらぎー和歌山

 前夜より松下氏宅泊。松下夫妻、土田博、森田、村上兄、酔狼、六名。900出発予定も1000出発。昨夜の酒に聞いてくれ。金剛寺までは車が多くびくびく。サイクルスポーツセンターへは10%の急坂。死んだ。土田氏転倒。滝畑ダムへは軽快ダウンヒル。ダムサイトで昼食。ビール。蔵王峠へは地道。ところどころに急坂があり乗り切れない。村上、酔狼、転倒。休憩の連続。いつまでも沢が続き峠はまだまだだと思っていると、ふいに頂上。峠にはなんと蔵王峠橋なる橋がかかっている。和歌山側は木間越しに紀ノ川が見える。500mのダウンヒル。R24を避けて左岸を下る。ミカン畑の中を走る。ミカン畑がどこまでも続く。疲れ果てて1900前に宿へ。ビール2本allで寝てしまう。森田バースト1。

 

6月6日(日)快晴
和歌山―高石
 朝から快快晴。和歌浦展望台に遊び、R26をひた走る。途中、ミスコース少々。生ビール。暑い一日だった。見どころは無し。楽しい一日だった。
大阪、高石の松下さんの社宅に泊まり前夜飲んだ。峠の上に橋があったことだけ記憶している。
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当然ながら皆若い。木陰のコースは気持ちよかったハズ。知津子さんのミキストフレームが懐かしい。絶滅種。

HUCCのOBラン。全ての始まりはこの「和歌山ラン」。41年後の利尻礼文で松下さん夫妻、ツッタさんとご一緒するとは!!
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