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酔狼通信 76
94.8.6
「酔狼のセンチメンタルジャーニー」の巻
 7月29日午後5時、新千歳空港着。仕事を終えたタケルが迎えに来てくれる。札幌の郊外タケルの家まではタケルの通勤路を行く。畑と牧場が続く、まさに北海道の景色が続く。
 タケルの家でご両親、子供達を交えて飲む、食う。タケルん家三代とは友達付き合いをしている酔狼である。ご両親とは正に久しぶり。
 30日。千歳から支笏湖まで走ろう(そう、今回自転車も同伴だ)と、車に自転車二台積んで走り出す。千歳に近づくに連れ雨雲が広がり、雨がパラパラ。あん!?雨か?えっ、雨かよ!
 で、結局支笏は走れず、札幌へ引き返す。そう千歳とはわずかの距離だが札幌は快晴。どうしようか?どっか走ろうぜ。
 考えあぐねたあげく幌見峠へ行くことにする。幌見峠は学生時代のサイクリングクラブで年にニ回峠の登りでタイムトライアルをやっていた峠だ。
 酔狼には縁のない行事だったけど、タケルにとっては青春の大イベント。大いに燃えてヱネルギーをかけた行事だった。当時のクラブの記録を塗り変え、後に国体選手にもなる川浪ゴキ君ですらその記録を8年間抜けなかった記録を打ち立てた。時代が違えばタケルも競技に目覚めて、違う道を歩んだかも知れない‥・・
 久しぶりの幌見峠は以前にも増してすごい勾配で、泣き泣き登る。峠の上で当然のようにビール。500mlにした酔狼が正解だったろ、タケル。
 峠から眺める札幌の街はかつてよリビルが増え、年月の隔たりを感じさせる。
 早々にタケルん家に帰り、シャワーを浴びて、地下鉄で大通りへ。今日の約束は「5時テレビ塔の下集合」
 発端は10数年振リで牝海道を走ろうよ、という老師の提案。しかし、なかなか皆のスケジュールが合わず、とりあえず決めたのがこの「テレビ塔集合」
 テレビ塔に着くと横手から老師が現れる。「コンチワ」「ヨオ」
 テレビ塔の下には門岡さんがすでに待っていた。仙台から。明日は早朝、道東中標津へ飛ぶそうだ。すぐに中村天皇さんが現れる。天皇さんは家族で帰省を兼ねて合流。揃ったところで大通り公園のビアガーデンヘ。ビール会社四社が競演。えっ、どこで飲んだかって?確かサッポロだったような、いや確か?
 空気が乾いているせいか、懐かしい仲間と飲むからか、ひときわビールがうまい。
 後は流れてすすきのへ。ところが、かつての店はすでになく、どこへ行っていいのか誰も判らない。かろうじて去年から札幌に住むタケルの道案内でとある居酒屋へ。痛飲。ほろ酔い。仕事の郡合がつかず月曜に東京へ帰る老師以外はてんでバラバラなスケジユールで道東常呂町を目指す。
 31日。ちょっと痛む頭を抱えて起床。タケルの車で一路道東を目指す。国道274号線を東へ。かつては(もう16年も前の話だ)夕張の奥、日高で寸断されていた国道が今は道東へのメインルート。車の多いのにびっくり。
 日勝峠は、あいにく視界が悪い。十勝平野に転がり落ちる。帯広を抜けて釧路へ向かう。断片的な思い出話の狂い咲き。19年前の夏のツアー(ツーリング)雨の釧路一帯広間、8月だというのにストーブを焚いていたのは大楽毛(おたのしけ)駅だということで意見が一致したのだが、駅前まで来ると、二人が考えていた駅と国道との位置関係が逆だった。記憶違いは駅名だったのか、国道との位置関係だったのか?とにかく、とんでもなく寒かったことだけは間違いないのだが・・・
 釧路の手前は海霧が出て、肌寒いくらい。
 釧路から牧草地の中を標津町まで。今日の目的地は標津町のポー川史跡公園キャンプ場。アイヌの遺跡の自然公園の中に10張りほどのキャンプ場。最近のアウトドアブームには若干閉ロしているタケルと酔狼。恐ろしいほど
 静かな場所を選んだ。今日のテントはわずか三張り。熊笹の中、ジンギスカン鍋とビール。すっかりご機嫌。ゴミを狙ってキタキツネが一頭テントのそばまでやってくる。
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 8月1日。朝から濃い霧。森の中、なんとも言い難い雰囲気。アイヌの復元住居の中にヒカリゴケ。暗い家の中で明るい緑の蛍光色を発している。あやしい色、見事。
 知床、羅臼へ。海からの霧で視界は100m。羅臼に近づくと霧が晴れ国後島が見える。羅臼で自転車を降ろし、知床峠を登る。19年前、知床を走ったときにはこの峠はまだなかった。オホーツク海側の宇登呂までは知床岬を巡る船が走っていた。今もあの船はあるのだろうか?
 海岸線からぐいぐいと登っていく。すぐに脚はいっぱいになってしまう。頭の上に羅臼岳。青い空。緑の山。葛龍折れを登ると、後ろに遠く国後島。峠のすぐ下の沢に雪渓が残っている。
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 峠の上でビール。こういう荷物を運ぶ努力は借しまない。海岸線から休憩を入れて16km余りを1時間15分。
 峠でタケルと別れ宇登呂側に下る。タケルは羅臼へ引き返し、車の回収。オシンコシンの滝で待ち合わせ。宇登呂側の道路はカーブも緩く快適なダウンヒル。知床五湖への分岐、あの頃は厚い砂利道だった。
 宇登呂側の海岸沿いの道路もずいぶん新しくなっている(もちろん、記憶は曖昧なのだが)。オシンコシンの滝。海に落ちる滝で、道路は滝の上を走っていたはずだが、どうやら先に見える岬のトンネルの向こうのようだ。左に分岐。オシンコシンヘの旧道と決め込み、登り出す。小さな峠を越えた所にオシンコシンの滝。滝は海には落ち込まず、新道の山側へ落ち、道路脇には駐車場、大勢の観光客。しばらく休んで新道へ降り、少し宇登呂側へ引き返す。駐車場には次々と車、バイクがやってくる。
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 しばらく待つとタケルがやってくる。自転車を積み込んで斜里へ。昼から温泉。あとは一路常呂を目指す。小清水は海岸線に原生花園、左に濤沸湖。網走の町を抜けた所で自転車の門岡さんを発見。常呂まではあと約30km、じゃ、先行って待ってますから。
 網走湖、能取湖を経てサロマ湖畔常呂町。漁協に勤める葛西さん宅を訪ねる。新築の家は、でっけえ~。圧巻は風呂にテレビ!
 結婚以来、待望、去年生まれたまりえちゃんにめっぽう弱い葛西さんの姿、想像通リでなんとも楽しい。
 葛西さん、箱に一杯ホタテを買ってくる。外でさばくんだと。「何か手伝いましょうか?」「な~んも手伝ってもらうことない。」一分後に「お~ぃ、手貸せ~」葛西さんが殼をはずしたホタテから貝柱をはずす。流れ作業というわけにはいかない。タケルも混じって貝柱と耳をはずし半分は殼つきのまま。
 門岡さん、川浪ゴキ君、鈴木さんと自転車組がたどリ着く。網走漁協の小林君がキンキをこれまたいっぱい待って現れる。
 2日。皆、それぞれに痛む頭をかかえて起き出す。
 葛西さんは朝から「暑い、暑い。」と、うなってる。こっちはずいぶん過ごしやすいんだけどね。
 朝、冷静になった馬場君、さすがに予定日の奥さん放ってキャンプするわけにはいかない。そりゃ、どう考えたって、そうはいかない。小林君の鉾先も弱まっている。じゃ、今日も仕事頑張ってね。
 仕事に出かける馬場、小林、葛西を見送り、今日走る門岡、ゴキ、鈴木、酔狼は始動。札幌へ帰るタケルを見送る。「じゃ、また。」
 北へ向かう門岡さんと別れる。酔狼はゴキ、鈴木さんと合流して東へ。網走へ向かう。能取湖畔はかつての国鉄××線の跡がサイクリングロードになっている。夕べの酒と寝不足で脚が回らない。

 

 網走刑務所。刑務所が観光地になるなんて日本は平和だな~、と三人。
 網走を抜け、藻琴で昼食。まだ40kmくらいしか走っていない。午後は峠を含む50km。大丈夫かな?おまけに日差しが強い。誰だ、さっきまで北海道は寒いなどとほざいていたのは!

 

 藻琴から峠を目指す。しばらくは畑の中を突き進む。暑い。太陽を遮るものは何もない。ちょっと走っては休憩を繰り返す。東藻琴村を抜け、次第に道はけわしくなる。ボトルの水が無くなる。暑い。藻琴山登山口で最後の休憩。遠く知床半島の山々が見える。景色がでかい。峠まで最後の登り。元国体選手ゴキが酔狼を振り切ろうと逃げるが、逃げきれない。さすがに体力を使い果たしたかな?
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 峠の頂上で大休止。でも展望はあまりよくない。少し下った所に展望台。屈斜路湖が広がる。しかし、夕暮れが近くこれもあまリ景色がよくない。そう、ここまでくるのにずいぶん時間を使い、川湯の宿に着くのは6時かな。
 緩いコーナーの続く走りやすい下りが続く。今夜の宿は牧場民宿。そう牧場が民宿。ん、民宿が牧場?川湯温泉から湯を引き、温泉で汗を流してジンギスカンは食い放題。ビール飲んで早々に寝る。窓を開け放し、ドアも開け、日中陽に焼かれた体はちょっと寝苦しい。しかし出された布団は大布団。こんなのいるかよと思っていたが、朝起きたらきっちり布団かぶってた。
 3日。明け方少し強い雨。天気予報は午前中道東地方は雨の確率大。
 どうしようか迷ったけれど、やはり走ることにする。霧多布へ向かうゴキと鈴木さんと別れ、女満別空港まで。煙立つ硫黄山をかすめ、川湯、そして屈斜路湖畔砂湯へ。17年前のキャンプは雨の中、立ったままカレーを食べたっけ。今はすごい車の数とテントの数。湖畔から美幌峠を目指す。脚にきはじめた峠の手前5km、道路脇からリスが出てくる。車やバイクじゃ気付かない。自転車ならではのプレゼント。ちょっと元気になる。
 頂上に近づくにつれ霧が濃くなり、視界がなくなる。かつて反対側から登ったときも霧が濃かった・・・。汗びっしょり。Tシャツを着替え、長袖シャツを着込んで下る。あとは女満別までひた走る。
 空路大阪空港まで。なんだ、この暑さは!あ~、帰ってくるんじゃなかった。
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