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酔狼通信 263-1

17. 5
「2017 GW 九州ツーリング 前編(阿蘇・天草)」

 4月28日。一日早くGWに突入。始発の下り新幹線で博多から新大牟田へ。つい最近、ユネスコの世界遺産に登録された旧三池炭鉱鉄道敷地から宮原抗を目指す。ボランティアガイドの方に丁寧に説明してもらう。
宮原抗
煉瓦壁のこちらに建物があり地下300mの坑道から排水するため、巨大なポンプが置かれていたそうです。
 ついで三井港倶楽部へ。綺麗な洋館は現在、レストランとして使用されていたが、酔狼の昼食には向かない。少し走った町の食堂で昼食、ビール。

 熊本県に入り、山鹿へ。
芝居小屋、八千代座
 あいにく八千代座はこの日、別の催しに使用されていて内部見学はできなかった。残念。何故か、芝居小屋は好きで、サイクリングで走った所にあれば必ず立ち寄っている。
 山鹿燈籠資料館。

 今夜はその先の菊池泊。古代山城のひとつ鞠智城も気になるが体力温存のため今日は自重。
 桜島、爆発的噴火、降灰のニュース。予定では4日鹿児島泊、5日は桜島を走るつもりにしてるので心配や。


 29日。
菊池なんちゃら公銅像
 日の出と共に菊池渓谷から阿蘇外輪山大観峰へ上る。今回のツーリング唯一の峠越え。フロント、サドル、サイド二つ、計四つのバッグを着けた太いタイヤの自転車でゆっくり上る。あ、ゆっくり上ったんやなくて、ゆっくりしか上れんのや。
 外輪山の上まで上り、道路がほぼ平坦になったと思ったら、山の上はすごい強風、しかも横風。車も多くなる。強い横風に煽られそうになり、一度停止。怖いな~。
「晴れ」の天気予報もガスがかかって視界は悪い
 カルデラ、外輪山もほぼガスの中、中央火口丘はまったく見えない。前回走ったときにもガスがかかりほとんど見えなかった。なんでやねん!
 大観峰に立ち寄らず、下ろうかとも思ったけど、せっかくここまで上ってきたんやし。で、立ち寄り、展望台まで歩いたけれど、何も見えず、暖かい缶コーヒーを飲んで、風よけにカッパを着こみ下る。

 カルデラ内部に下って地震で壊れた阿蘇神社へ。
 門前で昼食、あか牛丼、ビール。吉野家の牛丼みたいなのを想像してたら大違い。そこそこの厚みのステーキ肉を軽くあぶり、斜めにスライス。飯の上に並べてタレをかけてある。あぶっただけの肉が柔らかくておいしい。最初は飯と肉を同時に口にしていたが、これなら別々に食べたほうがおいしいかも、と途中からは焼き肉定食に。うまかった~。
昼食後、走り始めたらガスが晴れる。なんでやねん!
 阿蘇はさすがに大観光地。車が多い。脇道を探し走る。
阿蘇大橋崩落の原因になった山崩れの跡、無惨
  少し足を伸ばして白川水源へ。
川底の砂地から水が沸き上がる。湧き水のおかげで辺りの空気も冷たく気持ちいい。
 名水も酔狼のお気に入りスポット。白川水源も二度目。立ち寄らずにはいられない。
 買い出しをして、今夜はテント泊。キャンプ場、ビラマイルドへ。隣のレストランにサイド四つつけたキャンピングが停まっている。

 テントを張り終え、レストラン葡萄の木へ。インドカレーの店やそうやが、「チャイもあります、お気軽に」の立札とキャンピングに惹かれ店へ。
 テラスのテーブルで話すマスターらしき人と、若いサイクリスト。迷わず、そのテーブルに行き、「混ぜて」「自転車見て来たんや」

 聞けば、一昨年の夏だったかな?秋田を発ち日本一周中だとか。百名城も巡っている。播州赤穂へも行きましたよ、と。昨年の冬は何もしないで暖かい所でじっとしてたけど、今年の冬は愛媛のミカン農家でアルバイトをして、つい先日また走り始めたところだとか。綺麗な写真を撮るために一日、同じ所にいたりするそうや。
 早い夕食で早々に眠る。当然、夜中に目が覚める。


 30日。
 南阿蘇の山の中、夜露でフライシート、テント共びっしょり。
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朝靄はすぐに晴れた
 県道28号線、俵山トンネルは昨年末に通れるようになったらしい。旧道の俵山峠は通行止め。
 しかし、トンネルを熊本側に抜けた後で一気に旧道へ上り直す。勾配14%、当然押す。熊本ー阿蘇のメインルート、国道57号線の阿蘇大橋の崩落のためか、この道も早朝から車が多い。西原村で空港ルートから逃げ脇道へ。

 震源の真上、益城町へ入ると屋根にブルーシートのかかった家が散見する。道路はいたる所で工事中、道路工事、水道工事。
被害の集中する益城町中心部では壊れた住宅の撤去が終わり、更地ばかりが目を引く。
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熊本城。報道で見て酔狼が思っていた以上に石垣の崩壊がひどい。
でも、これ、本当に税金使って全部直す必要があるんやろか?
 昼食、天気がいいのにビール抜き。

 宇土城。石垣。
 次いで、すぐそばの轟水源へ。
今使っているデジカメ、水中撮影ができるのをふいに思い出した。初の水中撮影。
左:完全に水中にカメラを入れて撮影     右:レンズを半分水面下で撮影
 旧不知火町から旧三角町へ。不知火、なぜか妙に漢字の並びがお気に入り。

 三角港の民宿素泊まり2500円。
 世界遺産に登録された三角西港と夕日を見に、夕食前に往復15kmほどのおまけのサイクリング。疲れた。
 5月1日。
 天草五橋を渡り、天草上島へ。天草五橋、開通が1966年と古く、道路が狭く、路肩もあまり無い。歩道はあっても歩行者一人分。自転車にとっては辛い道路。
 天草上島は車の少ない東海岸を走る。生き返る。

 旧倉岳町、石垣の町。四国宇和海の外泊に似た先人の知恵と努力の町。
 11時をまわり腹が減った。どこか食事のできる所は?と郵便配達のお兄さんに尋ねると、「この辺りには無いですねぇ。少し先の〇〇まで行かないと。」
 が、少し走ったら食料品店に「弁当」の文字。店に入ると「今はおにぎりしかない」とのこと。腹ツナギにお握り二個と350の缶ビールを買って、100mほど走ったら「いろは食堂」の暖簾。

 迷わず店に入ると、テーブルには97歳の看板娘。奥に向かって、大きな声で店主を呼ぶ。壁の品書きの「魚定食 時価」って何になりますかと尋ねたら、新鮮な魚が無いので今日はできない、フライ定食ならできるけど、と。じゃ、フライ定食を。

 厨房を覗き、これこれしかじかで缶ビールを持っているので、飲んでもいいかと尋ねたら快く「いいですよ」
 早速、缶ビールを開けて飲み始めたら、お婆さんが立ってグラスを持ってきてくれた。ありがたや、ありがたや。おまけに酒のつまみに小鉢を二つ奥さんが出してくれる。お婆さん「筍も出してあげれば」「それは定食に付くから」

 料理を待つ間、お婆さんとあれこれ仲良く話す。楽しい。

 あんな話、こんな話。一人で走っている、へぇ~、ほぉぅ~、あんな話、こんな話。旦那さんも戦争に行った。復員してから結婚した。「あの頃は男の人がぜんぜんいなかった。「戦争はしたらいかん」あんな話、こんな話。「奥さんも、子供さんもおらんとね、それは寂しかねぇ~」

 フライ定食は筍の小鉢の他にも何品か付いてボリュームたっぷり。お婆さんとの話も楽しいので瓶ビール追加してしまった。ビールは好きやが、昼食にこの量のビールは久しぶり。アホや~

 一時間近く店にいたろうか。御馳走様でしたと店を出ると、暖簾の間から顔を出して見送ってくれた。
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初めての自撮り
 さらに天草上島を走り、橋を渡って天草下島へ。本渡市。あ、今は天草市か。
 天草はキリシタンの島。殉教公園、天草キリシタン館。あ、島原の乱の天草四郎って天草の人なんや、って、そんなことも知らんのや酔狼は。へぇ~、天草でも戦いがあって、最終的に島原の原城に籠城したんや。へぇ~っ。

 買い出しを済ませ、テントの張れる場所を求めて海岸線を走る。風が強い。黒崎キャンプ場の近くで散歩中の人に場所を尋ねたら親切に案内してくれた。「3kmほど行けば、もう一つキャンプ場があって、そこの方が施設は整ってますよ。ここを見て、もしあれなら、そちらに行かれたら。」

 なるほど案内されたキャンプ場はけっこう荒れてるが、強い風は当たらない。それは何より。水もトイレもあるし、静かでええやん。
 海の向こうに島原半島、高い山は普賢岳やろなぁ。

 後からやってきた自転車、バイクのツーリストに案内してくれたおじさんの言葉をそのまま伝えたら、「3kmなら、そっちへ行ってみます。」と走り去った。結局、暗くなって酔狼が寝てる間に、もう一台バイクが来ただけ。ほぼ貸切状態。波の音が間近に聞こえる夜やった。
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