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酔狼通信 263-2

17. 5
「2017 GW 九州ツーリング 後編(天草・鹿児島)」
 5月2日。
 早々にテントを収納。この夜はさほど夜露には濡れていない。

 引き続き、天草下島を反時計回りに。1時間ほどで「おっぱい岩」へ。
 満潮時は水中に没する。たまたま、干潮だったので海岸に降りてみた。しかし、どれがおっぱい岩か判らない。あっ、あれか?発見!これに違いない。なんとも不思議な自然のいたずら。

 さらに1時間。富岡城。ここは昨日訪れたキリシタン館で、島原の乱のお勉強をして初めて知った。予想外の大きな城跡。石垣の復元整備が今も行われていた。うわっ、金かかっとんなぁ~。
 あまりに綺麗な石垣に違和感。酔狼としては島原の乱の後、破城になった(城として使えないように、わざと石垣を破壊)所はそのままにしておいた方が好みやけどね。危険な箇所は補修せなあかんけどね、なんか無駄遣いに見える。

 朝からずっと小さなアップダウンが続き、五日目の脚に堪える。

 大江天主堂へ向かう峠の手前の集落で昼食を求めるが、唯一の食堂がこの日は休み。近くの食料品店(兼肉屋さん)で菓子パン二つ、揚げたてのから揚げとコロッケ、お茶を買い、旧道を上る。

 空腹と相談しながらなんとか峠を上りきる。下りの途中、ベンチで昼食。
 下りの途中、山の斜面に大江天主堂。天草ロザリオ館。ここのそばに食事のできるところがあったけど、特製ランチで満足。
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崎津天主堂
 さらに下った崎津港に崎津天主堂。
 入り組んだ湾をぐるっと回って牛深港までの最後の上り。脚、回らんなぁ~。

 牛深港にはフェリーの時間の20分前にたどり着く。約85kmという距離のわりには余裕のない一日やった。

 40分の船旅で長島、蔵之元港へ。鹿児島県に上陸!フェリー乗り場のそばの民宿が今夜の宿。自転車を押して下船したので、未だ鹿児島県は1mも走っていない。
 風呂、洗濯、早い夕食。ビール。今回のツーリングでは唯一の食事付きの宿。刺身、焼き魚、煮つけ(アラ炊き)、魚づくし。美味かった。
 バイクと自転車の客以外は地元のご夫婦二組の四人の釣り客だけ。酔狼の背中から聞こえてくる鹿児島弁の会話の響きが耳に心地よく、楽しくなる。ビールお代わり。ごちそうさん。
 部屋飲み用に焼酎のお湯割りを一杯作ってもらい部屋へ。疲れて早々に寝る。


 3日。
 フェリー乗り場からの上り坂がいきなり登坂車線つきの急坂。あ~、思わずため息。
 部活に出かける長島中学のテニス部員二人としばらく並走。今日も風が強い。岬を周るたびに風向きが変わり一喜一憂する。

 黒之瀬戸大橋を渡り、九州島に戻る。車の少ない脇道へ逃げ込み走っていたら、ふと気づいた。信号に書かれた地名「〇〇三文字」。これって、丁字路のことやなぁ?

 阿久根市で国道3号線に合流。海沿いを走るにはこの道しかない。道路幅は狭く、路肩のない所も多く、自転車には辛い道路。そのくせ、車の通行量はけっこうある。走りづらい。薩摩川内市までの約20km、楽しくないサイクリング。

 川内川の手前で県道に逃げ込む。道路は明らかに九州電力川内原子力発電所のおかげで場違いなほど広く立派になる。国道3号線とは大違い。
 原発の敷地のフェンスには20m毎くらいに監視カメラ。県道は無駄に広く、車は走らない。坂は六日目の脚には厳しい。上って下りて、上って下りて、上って下りた羽島港に「薩摩英国留学生記念館」。休憩を兼ねて寄っていこ。

 ふぅ~ん、薩摩藩も幕末に留学生を派遣しとったんや。酔狼、な~んにも知らんなぁ~。
 と、体を休めて記念館から出てきたら、
目の前で強風に煽られて、自転車が倒れた。
嘘やん!10秒早く出てきたら、倒さんかったやろうし、10秒遅く出てきたら、目の前で倒れるのを見ることはなかったのに~。
 気を取り直して走り始めるが、向かい風が強い。少しも進まない。

 今夜は最後のテント泊の予定。しかし、この強風ではまともにテントを張れそうもない。火も使えんやろなぁ~。意気消沈。どこか安い宿探そうかなぁ?GWやもんなぁ。そうそう部屋が空いとらんわなぁ~。最悪、鹿児島市内まで輪行してネットカフェで寝るかなぁ?

 国道3号線に戻り、国道沿いに走る間にあった二軒の民宿を訪ねるが、二軒とも満室。そりゃ、そやな。
 3号線を離れ、三桁国道に。相変わらず風は強い。でも、とりあえずキャンプ予定の吹上浜を目指す。

 (旧吹上町)日置市の市街まで来てしまう。火は使えんなぁ、と「巻きずし、キツネ寿司」のパックと「鰹のたたき」、朝食、缶ビール二本買って、サイクリングロードを走る。どうやら、このサイクリングロードは南薩鉄道の廃線跡のようや。

 サイクリングロードは吹上浜の砂丘の陰を走ったりして、さっきまでよりは風が弱い。場所を選べば寝られそう。最悪砂丘の松林の中もアリかも。ちょっと光が見えてくる。

 と思いつつ、吹上浜公園に着いてしまう。隣接する吹上浜キャンプ場は夏場だけ利用可。松林の中へ入ると風がほぼ無くなる。あっ、これはいけるかも。
 キャンプ場の「期間外 立ち入り禁止」の札を恨めし気に見ながら、松林の中、海に続く道路を行く。小さな砂山の手前に駐車場。砂山の陰になり風はまったくというほど無い。ここならテントが張れそうや。

 砂山の切れ目にできた通路を越えて海岸線に出る。こちらもさほど風はない。海で遊ぶ何組かの人たち。
 ねぐらは確保できそうやし、やることもないから、砂山の斜面に腰かけて夕日を肴にビールを飲む。ついでに食事も済ませてしまう。
 あいにく、太陽は沈む前に雲に隠れてしまったけど、1時間足らず、ぼぉ~っと過ごす。

 海で遊ぶ人たちがほぼいなくなったので、駐車場に引き返し駐車場になっている松林にテントを張る。
 心折れそうになった串木野あたりとは裏腹に快適なテントの夜やった。


 5月4日。
 風の影響もなく火も使えたので、インスタントラーメンとパン、コーヒー、リンゴ、ヨーグルトの朝食。この夜はテントはまったく濡れず。

 引き続き南薩鉄道廃線跡らしき道路を南下する。旧加世田市街(現南さつま市)まで南下しハンドルを東に、南九州市に向かう。
 上天草市、天草市もそうやったけど、平成の大合併で、なんかつまらん名前の自治体が増えたなぁ。

 旧知覧町に着くころに雨がパラつき始めた。はじめは見学するつもりは無かったけど、近くまで来たらやはり外せない「知覧特攻平和会館」へ。
 遺影、遺品、海中から引き揚げられた壊れ腐食した戦闘機。映像展示。

 声を失くす、と言いかけたけど、いや声を大にして言おう。「戦争は嫌や」還暦を迎え、自らは戦場に立つことが無い立場で「戦おう」などとはけして言えない。戦わずに外交力で問題は解決してもらいたい。

 平和会館、知覧ミュージアムを見学して外へ出たら雨が少し強くなっていた。
 雨具上下を着込み、少し離れた知覧武家屋敷群に向かう。

 今回のツーリング、昨年の熊本地震の被災地で小銭を落とすことと、ここ知覧武家屋敷訪問がメインテーマ。
 駐車場の管理室の軒下に自転車を置かせてもらい、武家屋敷群を歩く。上下カッパが残念やけど、天気ばかりはしょうがない。たぶん、20年以上も前から興味を持ち、訪れたかった所。
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実際は観光客で賑わっている。タイミングを見計らって撮影。
 あちこちの重要伝統的建築物群に指定された町並みを見ているが、その中でもここは素晴らしかった。庭園を公開しているお宅が数軒あるが、ほとんど観光地化しておらず、いやぁ~良かった。でも、なんで雨やねん!駐車場に戻るころには雨が上がった。ま、走るときにカッパを着ずにすんで良かったと思おう。

 不思議だったのが、「特攻平和会館」の駐車場や館内にはたくさんのバイクのライダーがいたのに、雨の武家屋敷群ではまったく見かけなかったこと。

 ついで、少し離れた知覧城へ。さっきの武家屋敷群は江戸時代のものやったが、こちらは中世山城。
南九州の中世山城の特徴、郭と郭が空堀で完全に区切られ独立している。他ではあまり見られないので楽しい。
 よし、今日の目的はほぼ終わり、後は一路鹿児島市内へ。と、武家屋敷近くから鹿児島に向かうところの蕎麦屋で食事と思ったら、混んでて時間がかかると。次、何かあったら、そこで食べようと思ったら、峠を越えて鹿児島市内に入るまで一軒も店が無かった。読み違い。

 鹿児島市内で遅い昼食。尚古集成館へ。自分もその一人なんやが、観光客でごった返しているので、逃げるように今夜の宿のビジネスホテルに向かう。

 シャワーを浴び、缶ビールで咽喉を潤し生き返る。今夜は協力隊広尾訓練所のころの仲間、常見さん(ザンビア・理数科教師)と夕食を。「南さつま市で仕事をしてるので七時半くらいになるかもしれません」とのことやった。

 五時になるのを待って、とりあえず部屋の電話で常見さんの携帯電話に電話するが、出ない。あ、ご存知の方はご存知やけど酔狼は携帯電話を持っていない。三十分ごとに電話を入れるが応答が無い。車を運転中だとあれやし、と腹をくくって七時半まで待つことにする。

 すると、しばらくたって部屋の電話が鳴る。常見さんの奥さんからやった。「主人が携帯電話を失くしてしまって。仕事用の携帯電話の番号をお教えしますね。その辺りに今、向かっているはずなんですけど。」
 先日、常見さんには照国神社の近くのビジネスホテルに泊まるので適当に待ち合わせ場所を決めておいて、と伝えてあった。奥さんは、ネットで検索して照国神社の近くのホテルに電話をかけてくれて、何軒目かでヒットしたらしい。
 「じゃ、『照国神社の鳥居の所で待ち合わせしましょう』と伝えてください。」

 ホテルの近くの照国神社へ向かう、鳥居の所に常見さんの姿はまだ無い。常見さんが来る前に、参拝。常見さんと無事遭えたら、『照国神社』というキーワードのおかげやもんね。
 参拝を済ませ、鳥居に向かっていると、すでに薄暗くなった鳥居の向こうに常見さんらしきシルエットが見える。向こうも、こちらの姿を見つけた様子で、こちらに歩いてくる。
 「常見さ~ん」「センちゃ~ん」半泣きの常見さんをしっかりハグしてやる。良かった、良かった、無事遭えた。いや、酔狼が携帯電話を持っていれば話は簡単やったのはわかってるんやけどね。でも携帯電話は持ちたくない。

 天文館通りかな?繁華街まで歩き居酒屋へ。生ビールで乾杯。その後、焼酎のボトルを一本。「もし、余ったボトルはキープされますか?持ち帰られますか?」って?へぇ~『持ち帰り』なんてシステムあるんや!!

 何はさておき、あんな話、こんな話。協力隊から帰国後、常見さんは前職同様、大阪に住み、その後、明石、徳島と移り、鹿児島に帰ってもう七年になるとか。徳島以降は会ってないから、たぶん十年以上ぶりやなぁ。
 「いろいろ大変な時期があったんですけど、今、仕事が楽しいんですよ。これから、益々楽しくなる気がするんです。」
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追記: 翌18年9月、常見さんは急逝された。このとき会っていて良かった。合掌。
 笑顔の常見さんは二十五年前の好青年と同じように少~し輝いて見えた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、明日も仕事がある常見さんと名残惜しくも別れる。元気でやろうな。また、機会があれば会いたいね。ありがとね。


 5月5日。ついに長い自転車ツーリングも最終日。

 二日酔いもなく、早朝宿を発つ。鶴丸城跡の石垣を眺めた後、城山展望台に上がる。「日章学園」合宿中やろな、運動部、早朝ランニングの皆さんに次々追い越される。サイクリング車に追い越されるのは平気になってるけど、ランニングにこれだけ追い越されると少~し凹む。

 フェリーで桜島へ。南岸を走る。
 桜島南岸を走り、大隅半島西岸を北上。旧福山町は黒酢の産地。あちこちに「見学、食事」の案内板。
 国分、隼人を抜け、最近人気のJR肥薩線嘉例川駅を目指す。しかし地図をしっかり読んでなかったので国道を離れ県道を表木山駅まで上る道が急勾配なのが抜けていた。それでも、この日はサイドバッグ二つをコインロッカーに預けてあるので、なんとかかんとか上りきった。脚パンパン。腹も減ったが、県道沿いには何もない。嘉例川駅まで行ったら、観光客目当てに何かあるやろなぁ~

 嘉例川駅に着いたら駅舎の中で駅弁を売っていたので迷わず買った。あ、駅は観光客でけっこうな賑わい。
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観光特急「はやとの風」は誰も降りない嘉例川駅に5分間停車。駅はさらにカメラを手にした人々で賑わう。
 ゆっくり、のんびり自転車をばらし輪行。再び駅舎に入ると「駅弁 完売しました」の札。あ~、良かった~、すぐに駅弁買っといて。
 隼人行きの普通列車を待つ間、改札横の長椅子に座りのんびり駅弁を食べる。おいしかった~。ごちそうさん。

 隼人駅で鹿児島中央行きに乗継ぐ。鹿児島中央駅で一旦改札を出てコインロッカーからサイドバッグ二つを取り出す。
 いい時間の新幹線の指定席が取れず、遅い時間の指定席切符を持っていたので、緑の窓口で早い時間に変更できるか尋ねるが、どの列車も指定は満席。
 始発駅やから、少々混んでいても自由席に座れるやろとホームに上がる。発車間際の「みずほ」に乗り込む。指定席は完売なのに自由席はガラガラ。熊本、博多からも乗り込む客は少なく快適に岡山駅まで。1時間に一本の「こだま」も運よくホームで待っていた。ラッキー。

 盛りだくさん、楽しいツーリングが無事終わった。連休は残り二日。体休めて、ちゃんと回復して月曜から次のツーリングに向けて働こう。
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