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酔狼通信 293-1
23.07
 「酔狼のセンチメンタルジャーニー part3 前篇」

 

 久しぶりにHUCCのOBランに参加。
 一つ上の代の方々がほぼ仕事を終え、道北の離島、利尻礼文に集まるラン。酔狼、今回も幹事をやって下さった老師が19年に播州赤穂を訪れた際にすでに参加を勧められていた。
 様々なOBランを企画してくれた老師も今回の幹事が最後になるかもしれない。

 

 3~5日の三日間、利尻に宿を早々に確保してくれ、参加者はそれぞれのスケジュールに合わせ参加することに。

 

 酔狼はほぼ20年ぶりの北海道、利尻礼文は初めて。せっかく行くなら利尻礼文だけやなく、前後も走りたい。ということで1日の土曜日から翌週は仕事を休み(週三日ほどしか働いてないけどね)9日の日曜までの日程にした。

 

 6月30日。自転車は前々日に輪行袋に納め神戸に前泊。
 
 7月1日。
 神戸空港830の飛行機で北海道新千歳空港へ。JR快速で札幌。札幌から特急で旭川、特急を乗り継ぎ稚内まで。稚内まで航空便で行く方法もあるし、利尻へ飛ぶ便もあるんやが「島へは船で」という固定観念が抜けず、利尻に飛ぶことは1秒も考えなかった。
 せっかくなので北海道の広さを体感しようと、稚内までは列車を使うことにした。

 

 札幌駅。ひょっとすると46年前、大学を辞めて逃げるように播州赤穂へ帰ったとき以来かもしれない。

 

 札幌駅で嬉々として駅弁とビールを買って特急列車に乗り込む。車窓からビル群が消えるころ缶ビールを開ける。
 車窓を流れる景色が懐かしい。と言いたいところやが「記憶は断片的」どころか「点」でしかない。50年近く前のことはほぼほぼ忘れている。

 

 旭川駅で二本目のビールが買えなかったのは誤算。
 覚悟はしていたが稚内は遠い。旭川の北、名寄で稲作は北限になり畑地に変わる。さらに進むと牧草地や原野に変わる。
「野生動物がいるため急ブレーキをかけるおそれがあります」との車内アナウンス。
 うつらうつらしながら鹿を一頭見かけた。
 抜海―南稚内間、一瞬海が見える所で「左手に利尻島が見えます」のアナウンス、そして減速。残念ながら利尻岳には雲がかかっている。
 
 疲れ果て、旭川から3時間45分、札幌から5時間20分で南稚内駅に到着。
 今日はまったくの移動日。駅から少し離れた宿まで重い輪行袋を担いで歩く。
 宿の温泉が心地いい。
 
 
 2日。
 始発列車で幌延まで移動。乗客は四人、五人?酔狼以外は鉄道マニアかな?
 幌延まで60kmの間に駅は六つ。最近、廃駅になった所も何か所かある。一両だけの普通列車は再三警笛を鳴らし、ブレーキをかけ野生動物を避けながら走っていく。この日は四度、計六頭の鹿を見た。運転士はたいへんやなぁ。

 

 幌延駅。学生時代の自転車ツーリングの際、駅舎で寝袋を広げ寝た記憶があるが、Wikipediaで検索すると現在の駅舎は73年に竣工とあり、現在の駅舎は記憶の中の木造駅舎ではないので記憶違い。どこで寝たんやろ?

 

 自転車を組み走り始める。サロベツ原野のビジターセンターへ。開館時間には少し早いので先に遊歩道を歩く。ここは長沼の傍。

 様々な湿生植物が生え、花が咲いている。
P7020024.JPG
 30分余り散策しビジターセンターへ。順序が逆になったがしかたない。

 

 少し走り下沼(パンケトー)へ。うん、やっぱ上沼、下沼やなしにペンケトー、パンケトーやな。

 

 下沼駅近くの湧き水を自転車のボトルに入れ、一旦国道に出る。バイパスが出来たせいか車の通行量は極端に少ない。バイパスは災害時の対策のためやそうやがホンマに必要なんかなぁ?
P7020035.JPG
北海道やなぁ~
 豊富まで国道を走りコンビニで昼食の買い出しをする予定やったが、なんとかなるやろとショートカットして上サロベツ原野を横切る道路に向かう。
 サロベツ湿原センター。この辺りはつい最近まで泥炭の採掘が行われていたそうで、採掘跡の湿原再生に取り組んでいるそうや。
 
 小さな砂丘を越え海岸沿いに出る。ここから日本海に沿って北上する。原野の中を真っ直ぐに道路が伸びている。稚咲内から浜勇知までの間、20km余り家は一軒も無い。正確には浜勇知も砂丘の向こうにしか家は無く、この先の抜海の港までの30km近く民家は一軒も無かった。
P7020039.JPG
写真を見直して気付いたが、この道路、電柱電線がまったく無い。
民家が無いんやから当然か。
  いつものように、いいかげんな下調べの酔狼、食堂が無いのは解っていたが、食料品店ぐらいあるやろと豊富のコンビニをスルーしてしまった。軽食は持っていたものの早々に食べてしまい、空腹に泣くことになる。完全に北海道を舐めてました。

 

 なんとか稚内市内に入り、坂の下の集落から50mくらいの坂を越えればすぐに市街地へ出るんやが、目の前の坂を上る気力がなく距離は伸びるが海沿いをノシャップ岬へ向かう。

 

 前方に三階建ての集合住宅が三棟、道路沿いに「さとう商店」発見!やった~、と思ったが近づけば、さとう商店はすでに廃業の様子。がっくり。
 その先に日帰り温泉!行って「食事はできますか?」と尋ねたら食事はやっていないとのこと。またまたがっくり。
 翌日、タケルから「そこの温泉に泊まったが、素泊まりで『周辺に食事のできるところは無い』とのことで、幌延から夕食も背負って走った」そうや。

 

 よろよろでノシャップ岬にたどり着く。土産物屋や食堂が立ち並ぶ。でも、こうした所の食堂は苦手なんやなぁ。店先を眺めて、あと数km走って稚内の市街地で食べよっと。

 

 稚内港、かつて樺太からの引き揚げ船が停泊した「北防波堤ドーム」を眺め、稚内駅に向かう。市街地を平然と歩き道路を横断する鹿二頭。
駅前の食堂へ。「魚定食」とビール。「柳の舞」の煮つけ。メバルに似た魚やなと思ったら、メバルの仲間で地元ではポピュラーな魚のようや。おいしくビールと共に頂きました。

時刻は2時。ビールがうまい!
P7020041.JPG
 北防波堤ドーム
樺太からの引き揚げはここから。稚内駅からここまで線路が伸びていたそうです。
 今夜は昨夜の宿に連泊。今日の予定は終了。稚内駅の観光案内を覗き、副港市場にある「稚内市樺太記念館」へ。 
 いつものことながら何も知らない酔狼、樺太にまつわるあれこれ、なかなか興味深かった。ビデオ映像が大量にあり、5本全部見たら1時間20分ほど。時間もあるが空腹にビール、ほど良い疲れで眠いので最初の一本で勘弁してもらった。歴史やねぇ。

 

 早々に宿に戻り、明るいうちに宿の温泉で汗を流しビール、洗濯。

 早い夕食、ビール「お休みなさい」。

 
 3日。
 今日から三泊、幹事の老師が利尻の宿を確保してくれている。
 稚内―利尻のフェリーは一日三便。今日はのんびり宿から日本最北端宗谷岬を往復し(約60km)、夕方の船で利尻に渡るつもりでいたが、早朝宿を出て、稚内発1110の船に乗ることにする。

 

 6時過ぎ、宿を出て走り始める。風は北寄り。ゆるい「ノの字」の宗谷湾に沿って東へ、そして最後は北へ走る。この道も市街地に店はあるが、声間集落を過ぎ、稚内空港を右手奥に見る所からは原野が続き何も無い。ゆるい「ノの字」の道路は進むにつれ向かい風が強くなる(個人の感想です、って、まるでTV通販やん!)。

 

 ときおり現れる宗谷岬までの距離を示す道路標識に交じり「網走 331km」の標識!
 こんな標識見たこと無い。と言いつつ写真が無いのは向かい風のせい。酔狼の脚やと四日やん!

 

 富磯の集落にセイコーマート(あ、コンビニ、北海道ではセイコーマートが断トツで強いそうです。この旅でも都市部ではセブンイレブンやローソンを見かけたが、都市部を離れるとセコマしか見なかった)。休憩。向かい風が強くなるにつれ寒さも増し、ここで長袖シャツの上に半袖シャツを重ね着する。

 

 宗谷岬までは残り10kmほど。11時のフェリーに余裕で間に合うハズ。
 
 宗谷岬には7時半ころ到着。
 46年前の77年、HUCCの夏の道北ツアー(クラブの夏の自転車ツーリングを「ツアー」とよんだ。道東、道南、道北と三年間で全道を走れる企画)で、酔狼も行ったハズやが、何の記憶も無い、本当に覚えているハズも無く、TVや写真を見て「行った」という記憶を塗り替えているだけ。
P7030046.JPG
 樺太(サハリン)までは約40kmだそうで、薄雲が掛かり今日は見えないなと思っていたけど、よ~く目を凝らして見ていると、水平線の上に薄っすらと、それらしき島影が見える。昨日の「樺太記念館」でも感じたが樺太サハリンって近いんやな。
 46年前、国境を意識した記憶はまったく無い。道東根室の納沙布岬では国後島や歯舞諸島の水晶島を意識した覚えがあるけどね。
 ま、何はともあれ現在ロシアがウクライナでやっている事も含め国境なんて無ければいいのにと思ってしまう。

 

 しばらくぼんやりと水平線を眺め、宗谷岬をあとにする。あ、アホなので海岸まで降りて海水に手を付けてみた。当たり前やが、ビックリするほど冷たいわけはない。
 まだ8時前、稚内のフェリーターミナルには余裕で着けるはず。
 
 行きには、はっきり向かい風と感じた北寄りの風を背中に稚内に向かう。
 行きに半袖シャツを重ね着したコンビニで休憩し、シャツを脱ぎ、長ズボンから短パンに履き替える。前方には稚内の市街地やノシャップ岬が遠く見える。

 

 10時前にはフェリーターミナルに到着。自転車置き場には同期のタケルの自転車が置いてある。
 建物に入ると外に出てくるタケルと出会う。「おう」「おう」
 
 乗船券を買い求め、朝食を買うタケルと共に近くのコンビニへ。

 

 フェリーターミナルの向かいには国際フェリーターミナルがあるが、今日は閉まっていた。帰宅後、この文を綴りながらネットで検索してみたら稚内―サハリン(コルサコフ港)間に国際フェリーが運航されていたが、19年から休止されているらしい。
 いいかげんな酔狼の頭の中では、稚内市内にはロシア人がたくさんいて、ロシア語の看板やロシアに輸出される中古自動車、ロシア人のお姉さんのいる店が立ち並んでいると思っていた。アホや~。

 

 話は戻り、タケルによると、東京から参加の同じく同期の哲は始発のフェリーで利尻に渡ったそうで、団体客で船室は溢れかえっていたらしい。道東常呂(現北見市)から車を走らせてきた葛西さん夫妻も次の船で利尻に向かうらしい。

 

 乗船時刻までターミナルであんな話こんな話。
 乗船時刻が近くなり、再びコンビニへ行き、昼食とビールを買い込む。冷たいビールが飲みたいから、「できるだけ乗船間際にビールを買いたい」が酔狼の思い。

 

 ターミナルに戻り、波止場の乗船待機場に。
 やがてフェリーが着岸する。思っていたよりも船がでかい。
 二輪車、自転車は車の後のようで、到着したフェリーから車が吐き出された後、利尻に向かう車が次々と乗り込んでいく。
 
 目の前を葛西さんらしき車が通っていく。
 ん?自転車持った二人がいれば、チラッとこちらに目を向けるやろ?まったく目も向けず通り過ぎたよな?

 

 車の乗船後、最後に二輪車、自転車の乗船。車両甲板で乗組員に自転車を預け2等自由船室へ。売店近くで葛西さんの奥さんみどりさんに出遭う。タケルたち二人は面識があるが、酔狼は30年くらい前に常呂のお宅にお邪魔したときに一度お会いしただけで顔も覚えていない(覚えておけよって。でも酔狼、電話と人の顔を覚えるのは大の苦手)。「お久しぶりです」

 

 葛西さんたちは指定席のようで、ここで別れタケルと酔狼は自由席、船首のフロアへ。
 
 やがてフェリーは稚内港を出港し利尻島鴛泊港へ向かう。ところで、酔狼「鴛」という漢字は今回初めて見たし、もちろん読めなかった。読みは「おし」、オシドリのことやそう。知らんなぁ。いつもながら世の中知らん事だらけやなぁ。

 

 船は順調に利尻に向かう。波も穏やか、揺れも感じない快適な船旅。
 ビールを開けて乾杯。ビールがうまいっ!
 

 立ち上がれば、前方の窓から見える利尻岳が徐々に大きくなっていく。残念ながら山頂付近には雲がかかり全貌は見えない。
P7030055.JPG
 ワクワク感が堪らない。やっぱ、島へは船やなぁと思いつつ、利尻島鴛泊港にたどり着く。
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