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酔狼通信 H83
23.07
 23年7月の利尻礼文のOBランの際、松下老師がOBランの思い出を熱く語った。
 そこで暇に任せ、古いメモ書きや酔狼通信を掘り起こしてみることにした。
 インデントの文章は当時のメモ書き。この文と同じものは、思い出しつつの追記。記憶違いや、思い込みが多分に含まれると思わる。
83年 HUCC OBラン

 

6月3日(金)
赤穂=大阪=

 

赤穂発1744。大阪着1954。待ち合わせ場所にはすでに土田氏がいた。続いて印藤、しばらくして松下夫妻が自転車のままコンコースへ。タケル夫妻が来て、あとは森田だけ。早速ビールの中、ホームで待つと森田登場。タケルが「越乃寒梅」を持ってきてくれて飲む。ちくま3号は一路松本へ。
 当時はまだ国鉄民営化前。急行ちくまは当時は対面座席だった。硬い座面で寝ても若い頃は平気だった。ちなみに札幌―播州赤穂は急行利用だと36時間くらいかかり、二晩列車の座面に横になり眠った。
4日(土)
=松本―三城牧場―扉峠―山本小屋―牛伏山―美ヶ原―王ヶ頭―美鈴湖―浅間温泉
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昨年の「       」が全ての始まりだが、やはりこの「美ヶ原」も同じように全ての始まり。
​HUCCのOBランはここから始まった。
松本着511。すでに門岡氏が東京から来ている。哲、廣野、カンの三人が車で、根岸が車で、中村夫妻がやってくる。8時前に出発。タケル、松下両夫人は哲と根岸の車で頂上まで。走るのは十人。東へ。遠く北アルプスが見える。三城牧場への上りはきつい。空は朝方雨が降るかと思われたがピーカン。三城牧場を少し過ぎた所で軽食とビール。扉峠までは少し楽な上り。御岳も見える。扉峠は大展望。少し下ってビーナスラインを山本小屋まで死の上り。ふぅ~。山本小屋で昼食とビール。牛伏山は360°のパノラマ。王ヶ頭までは砂利のゆる~い上り。最高ダウンヒルを浅間温泉まで。宿に松本、牟田、大出の三氏。大宴会。18名(走り12名、車6名)
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 美ヶ原の風景は今でも忘れられず、その後のOBランの際に二度美ヶ原に上がった。
 哲が持参したビデオカメラは、まだまだ普及しておらず、ビデオカメラを向けられると皆、動きがぎこちなくなり可笑しかった。数年後のヒロノの結婚式や、その夜のホテルでの飲み会で何度も見て大笑いをした。
 
 早朝の松本駅から昼の美ヶ原、そして深夜の浅間温泉まで、楽しさがギッシリ詰まった一日やった。
5日(日)
浅間温泉―松本城―穂高―大町―木崎湖
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朝、根岸、カンが東京へ帰る。松本城で大休止。ここで牟田氏、名古屋へ帰る。ゆるい下りを穂高まで門岡氏の案内で走る。車が少なく気分良し。読図力抜群。穂高はわさび田。穂高神社。碌山美術館。美術館内のテーブルで昼食。ビール、スーパーで色々買い出しして、すばらしい昼食だった。ここから大出氏、土田氏、中村夫妻と別れる。高瀬川右岸の地方道を遡る。
大町山岳博物館。木崎湖畔の宿。松本、森田が富山へ。9名泊。
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 五万分の一地形図を片手に、安曇野の田舎道を右へ左へ先導する門岡さんの姿が忘れられない。
 碌山美術館の裏庭での昼食は中村天皇さんや門岡さんが所属していた東京の港CC方式でスーパーなどで食糧を買い出しし、昼食とも花見の宴席ともとれる楽しい食事だった。
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 碌山美術館
館内に入場したのは少数だった。酔狼は当然入っていない。
 6日(月)
木崎湖―中綱湖―青木湖―白馬=糸魚川=大阪=赤穂
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朝、哲、廣野、東京へ帰る。白馬まで北国街道を走る。車はなく気分良し。神城から門岡氏長野へ。白馬から輪行。富山で森田が乗り込み、車内で森田差し入れの甘エビ、鱒のすしで宴。2020赤穂着。
 この日のハイライトは前日、富山の実家に帰省した森田の富山駅での登場。
 白馬駅で輪行し、日本海廻りで糸魚川から特急で大阪組みは大阪へ。特急の車中で富山駅までにすでにビールや酒を飲んでいた(車内販売もまだあったのかな?)。ひょっとすると、同じ列車に森田が乗ってくるかもしれないと、富山駅に滑り込む特急列車の窓越しにホームにいるかもしれない森田を探す。そのとき車窓に森田の姿が大きく流れ去って行った。
 さっそく、車内で森田を探し、皆の席に呼び寄せた。森田が富山で買った土産の「マスずし」「甘エビの刺身」でHUCCの宴会は更に盛り上がった。感謝。
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