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酔狼通信 274-2
19. 8
「19年東北ツーリング」中編
 11日。
 南相馬の宿を早朝出発。海岸を目指す。
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今は誰も住んでいない仮設住宅
 市街を抜け海岸に近づくと昨日同様景色が一変する。ある線を境に建物が無くなり空間が広がるようになる。あ~、あの辺りまで津波の被害にあったんやろなぁ。津波の前はどんな光景やったんやろ?
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 海岸に近い県道を南下する。小さな坂を上る、「津波の被害ここまで」の標識。坂を下り、平地に出るとまた何もない空間に。海沿いに高い護岸が作られている。
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慰霊碑
 海岸線の工事区間は内陸に迂回。再び海岸近くに出る。
 請戸川を越えると更に景色が一変した。

 

 道路の右手、陸側は先ほどまでと変わらぬ耕作放棄地。左手には廃棄物置き場が続く。復旧された広い県道だけが真っ直ぐ伸びる。
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黒いフレコンはおそらく放射性廃棄物?
 すぐに「この先 帰還困難区域につき 通航制限中」(矢印の先に赤い✖印)の看板標識。夏休みで工事も止まっているので、音も無く、不気味な雰囲気。
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 津波の被害に遭った後、放置されたままの住宅。おそらく、この区域はつい最近まで立ち入りが制限されていたんだと思う。
 少し進むとバリケードがあり、あちらもこちらも通行止め。
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 これ以上は進めないので、仕方なく3kmほど引き返し、少し陸に入った国道6号線を目指す。国道に出て、行ける所まで行こうと思ってハンドルを南に向けると「自動二輪車 原動機付自転車 軽車両 自転車 歩行者 通行止め」の看板標識。
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この地区は農地の面影もない荒地
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 酔狼は単純に「国道6号線が通行可能になった」と認識していたが、どうやら自動車は通行可能。但し、停車せず、「帰還困難区域」を通過すること、やった。それ以外のバイクなどは未だ通行止めやったんや。
 自分では原発事故のその後に、それなりの関心を持っているつもりやったけど、そんなことはなかったんや。実は無関心。

 

 今日は行ける所まで南下して南相馬に引き返し、南相馬で泊まる予定なんやが、まだ9時過ぎ。時間を持て余してしまう。

 

 JR常磐線浪江駅。ここでも自分の思いのええ加減さに呆れる。常磐線は復旧したと思っていたけど、未だに「浪江―富岡」間は復旧してないんや。その間はバスによる代行運転。
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 駅のロータリーに車も無く、駅にも人影が無い。
 道路も車は通るものの人の姿は少ない。町も片付いているが生活の匂いがしない。電源の入っていない自販機。門の閉まった家々。壊れたままの神社、鳥居。あちらこちらにある線量計のモニター。静かすぎる町。
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右:今回、酔狼が見た中で一番高い放射線量の値
毎日、TVで各地の放射線量が報道されている。最高値は同じ単位で一桁上
 気持ちがどんどん塞がっていく。
 
 南下を諦め、一旦西へ山の方へ向かう。浪江町の農地はどこも何も作られていない。ぽつりぽつりと帰還した住民もあるのだろうが、ここでも生活の匂いがしない。
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おそらく他の場所で避難生活をおくられている大きな農家の家に入る通路を塞ぐように横向きに停められていた軽トラ
 途中、常磐道を跨いでいくが、常磐道は軽い渋滞で車が進んでいく。車は「帰還困難地域」を目にすることなく、すり抜けていく。なんかおかしい。

 

 一旦北に。そして山際の県道の小さな峠を越え南相馬市小高区に入ると水田では稲が、畑には野菜が作られ、ごく普通の風景が広がる。
 あまりの違いに放射能の怖さを今更ながら思う。

 

 小高の町に下る。浪江町に隣接する小高の町も、よく見ると空き家や閉店した商店が目に入る。さらに原発から離れた原町区とは明らかに違う。

 

 再度、国道の少し内陸にある県道を南下する。ここでも小さな坂を越えた町境で景色は一変する。浪江町では生活の匂いがしない。
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途中、出遭った石仏
 町の中心部に行くと役場周辺で「夏まつり」が行われていた。屋台のから揚げとビールで休憩。
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黒い服を着た人がやけに目立った。
きっと喪服なのかなと、勝手に解釈した。
 国道を避け脇道、県道で南相馬へ戻る。途中で雨が降り出し、このぐらいなら大丈夫やろと合羽の上だけしか着なかったら、宿に着くころには短パンはびしょ濡れになってしまった。

 

 宿の大きな風呂に入り生き返る。体力的というより精神的に疲れた一日やった。
帰宅後、酔狼も考えた
 
 酔狼、TVや新聞で浪江町や飯舘村はよく目にしたり耳にしたりしていた。
 でも、「双葉町」のほとんどは今も「帰還困難区域」だし、「大熊町」の大部分は今も「帰還困難区域」で、つまり、酔狼が双葉町や大熊町をニュースで目にしたり耳にしたりしないのは、未だにマトモニ取材ができないからなんやね。やっぱ、酔狼はえぇかげんにTVや新聞見て、えぇかげんな情報しか身にしてなかったんやなぁ。
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